
まず、自分の第一段階は、脳からあふれてくるものを、すべてノートに書き込む。一刻も早く。
字は、きれいじゃなくていいんだ。自分にさえわかれば。これを取捨選択し磨きあげ結果へと導く。
ノート記入は大切なプロセスのひとつ。
伊葉ノートは書くことに神経を使わなくていい、こんなしっくりした感覚は初めてだ。
身体の原理に造詣が深く、革新を受け入れる柔らかい頭の人間にとって、伊葉ノートは衝撃であり共感だ。しかし、保守的で四角いノートの延長線でしか考えられないと、ただの違和感あるいは反感しか残らない。否、むしろ意味不明なノートとしてスルーされ、何も残らないだろう。私にとって、普通は・・・とか、間違っているとか、多数決とか、一般常識とかいうワードはノイズでしかない。私の骨髄液の中に流れている信念と、伊葉ノートは呼応し合ったのだ。私の発明は誰かが想像し得る範囲を超えたものだ。とにかく、人にとっての使いやすさという原理を最優先させる。すると外見は既成概念の殻を打ち破ったものとなる。伊葉ノートは突拍子もない形をしている。ノートは四角いという鉄の掟を破り、涼しい顔で、変形ノートを販売する潔さに嫉妬さえ覚えた。 これを作った人も仮説という実態のないところからスタートし結果的に異型ノートにたどり着いた。そのプロセス(検証)は孤独な戦いだったと予想される。自分の信念をノートという形で表現したのだ。この人をここまで突き動かした動力源はなんだったのか?心の奥底にフツフツと沸き起こる見えない力の存在か?それが古武術であるとすれば本質を理解した数少ない人間と言える。
だから何時間でも書き続けられそうだね。
俺は与えられた物を、何も疑うことなく鵜呑みにする生き方はまっぴらゴメンだ。自力で枠の外に出て、あまりの広さに茫然自失となりながらも独力で体得しながら、歩いていく生き方を選ぶ。伊葉ノートの出っ張りは俺に似ている。
そんな自分も年を重ねるごとに制約に縛られ凝り固まった考え方しかできなくなっていた。伊葉ノートは“発想は自由だ”という原点を思い起こさせてくれる。扇形の末広がりは、「まだまだこれからだ」と言っているみたいだ。
斜め書きノートって呼ばれてるらしいけど、それって今までの定番の四角いノートを基準にしているから正直どうなのって思う。変型ノートという新しいカテゴリーの先駆者でしょ。それは体の原理を追求した結果の異型という意味ね。
でもノートを体の正面にまっすぐに置いて書くとなんか書きづらいんです。
伊葉ノートの原理の説明を聞いたら、なーんだ、私の書き方間違ってなかったんだって、
自分のことを肯定されているようで嬉しかったです。鼻がツーンとして涙がこぼれました。
伊葉ノートだったら後ろからぴったりついていけます。
むしろ躊躇なく振り切る勢いです。
今は板書だけじゃなく、自分の感想とか先生の話をびっしりノートに書いています。
後で見返したとき授業内容が頭に蘇ります。ストーリーの再現ができるのです。
ノートの書きやすさは、左から右へのスムース&スピーディーな動きだと思います。
周りの友達はちゃらけて遊んでいますけど、僕は勉強しています。将来、権力と金を手に入れるために。
とにかく僕は集中してノートに向き合います。
講義中は教授が言ったことと、自分の考えを頭の中で整理せず、とにかくノートに書き込みます。
僕にとってノートは命の次に大切なものです。
僕は自分がビッグになるために役立つモノは何でも使います。
そんな僕でも最初、伊葉ノートの形を見たとき違和感がありました。本当に使いやすいのだろうか?悩んでいるうちに伊葉ノートが夢に出てくるようになりました。そして僕は思ったのです。違和感は自分で検証して答えを出すしかないのだと。
そして実際使ってみると、今まで満足していなかった筆記作業に、伊葉ノートというピースが、カチッと音を立てて、はまったのです。
以来、伊葉ノートは僕の強い味方です。
自分のルールを持つがルーチンの囚われ人になってはならない。
時間の流れを味方につけるか、ただ流されるかは自分次第ということだ。 伊葉ノートにはその軌跡が全て残されるだろう。一年前よりも、確かに成長した今の自分を感じられるはずだ。 それが自分自身の生の肯定につながる。 たとえ結果(薄っぺらい表面)がでなくとも未来に向かい自力で挑むことに意味があるのだ。転んだら、テクニカルタイムアウトだと思って休めばいい。見えない何者かのペースに合わせる必要などない。やがて気力が満ちてきたら、ゆっくり起き上がり、また歩き出す。膝についた土と、血を手で払ってから。子供の時そうしたように。 伊葉ノートは常にあなたの側にそっと寄り添う、味方だ。あなたの悔し涙を吸収し紙面がシワシワになろうとも。春、新緑、周囲の変化、だが変わらぬ自分。その不安を打ち砕けるのは自分だけだ。思春期の空虚を埋められるのは大人になった自分なのかもしれない。黒板の支配のもと誰もが、自由、平等、可能性を持ち努力は必ず報われると信じて疑わなかったあの頃。
初めて知りました、こんなノート。たしかに横書き、たとえば数式や英語を書くとき、ノートを斜めにして書いていた。ちょっとしたアイデアといえばそれまでだけど、すごいね、これ。
なぜこんな形状になったかというと奇抜なデザインを狙ったというのではなくて、ちゃんと設計者の理論的仮説にもとづいている。人間工学的な論文があるわけではないが、作者の観察と商品テストによって、使いやすさを検証しているという。確かに使いやすい。人前で出すとそれなんですか?と突っ込まれるのが難点であるが、普通のノートを少し角度をつけて使っていた人にとってこれは合理的だと思う。
今年のISOT、新人賞&ベストキャラ賞は変態斜めノートの伊葉ノートがダブル受賞。個人の感想です。
脅威のノート。
まったく新しいコンセプトのノート。
ちょっとユニークというかエキセントリックなノート。
斜め書き特化ノート「伊葉NOTE・BOOK」が斜め上をいっていて面白い
面白文具で終わる。
ノートの形が台形となっていて、斜めにして書く、描く方にはなかなか便利。ただし、生産側から考えるとまずは、A4サイズを作ってからこの形を切るので、20%くらいを破棄しているというエコ時代の真逆を行く斬新なノート。
エルゴノミクスノート?伊葉NOTE・BOOK面白い文具がたくさん見られるISOTですが今回筆者の心に残ったのが「伊葉NOTE・BOOK」見開きにすると扇状に広がるノート。
トレたまキター
伊葉NOTE・BOOKクルー
左ページは書きやすいかもしれないが右ページは書きづらそう。
いくら無地のノートに書き込んだからってあんなに斜めにはならない。
人間工学の匂いがする。俺はいいと思う。
これ、ちょっと考え方が間違ってると思う。ノート自体の形を扇型にしたら後で見たときに気持ち悪くてならないよ。整理もしにくいし。
ノートは四角で完成されたものだと思っていた。改良の余地があったことに驚いた。
今まで四角のノートしかなかったよね。
僕には理解不能なノートだ。
今までのノートを傾ければ何の問題もない。むしろ余計なお世話だ。
変な形のノート
なに、これ、気になるー。
左ページから右ページに跨いで書くことなんてないでしょ。そんなに長い文章。ノートの角度を変えて書けば良いだけです。
いつかは欲しいぞ伊葉ノート
僕が先陣を切る
昔から斜めにして書いていたので、「ついにでたーっ!」って感じでした。
・ 実際に伊葉ノートを使った方の感想
* はい!書きやすいんですよ、なんて言うか、ノートの真ん中の折り目のところに手が当たるのが嫌なんですけど、それがないんですよ、それがgoodでした(*^o^*)
* 最近お気に入りの「伊葉ノート」メモとか大量にとる時にはいいですよ。最初はちょっと驚く仕様ですけど慣れると使いやすい。
* かなり、クレージーなノートでヒトネタになるよー。ジェットストリーム系のインクとの相性もいいので、使いやすい。時空のゆがみ体験できるよー。
商品名 | iha-note wiper (back up to nanameoki) |
サイズ | セミB5 179mm×252mm 罫線6mm 35行 30枚 |